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私は 10 月 16 日から 22 日までイスラエル・パレスチナの取材に行っていました。その報告は「週刊ポスト」10
月 29 日発売号と「週刊金曜日」11 月 2 日発売号に掲載されています。しかしページに限りがあった為、原稿はかなり減らすことになりました。そこでここでは
2 つの原稿にまとめる以前のものを少し修正して、報告することにします。
テロはアメリカを中東に引き寄せた
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「アラファトとビンラディンは双子だ」と書かれたイスラエルのポスター |
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9 月 11 日のテロの後、アメリカは 2 つの道のどちらかの選択を迫られることになった。第
1 は、同じ「テロ」と闘うイスラエルと協調路線を強化させる道である。
第 2 は、中東問題の解決に向かう道だった。
クリントンと違ってブッシュは、これまでパレスチナ問題に係わる気は毛頭なかったが、戦争が長引くと共にそうはいかなくなった。アメリカ国内には、経済界を中心に、アメリカはイスラエルの虜囚なのではないか、イスラエルの言うがままになっているせいで、イスラム諸国と敵対関係しか構築できなくなり、アメリカに大きな損失をももたらしたのではないかという反省が大きくなってきている。
戦争は長引き、アメリカは第 2 の道を模索している。すでにアフガン爆撃に対する周辺諸国の同意を取りつけるために、ブッシュはパレスチナ独立に言及している。この発言の内容はたいしたものではなく、イスラム諸国の反応を見るためのアドバルーンにすぎない。しかしアメリカはこれで済むとは決して思っていない。
こうしたアメリカの動きに、イスラエルの右派勢力は警戒感を強めていた。アメリカがテロリスト撲滅という理由でアフガン爆撃していいのなら、自分たちもパレスチナ人自治区を爆撃してもいいはずだ、と右派は考えていたのに、アメリカの圧力の下でシャロンが占領地の一部から軍撤退を宣言した。これに極右の7人が抗議して連立与党
を抜けると宣言した。その中心がズエビ観光相だった。
「パレスチナ人移送計画」
「週刊金曜日」の今年 6 月 1 日号で、私は次のようなことを書いた。
「シャロン首相はパレスチナ問題をどう解決するだろう。選択肢の 1 つは人口学的な解決である。つまりパレスチナ問題を解決するためにはパレスチナ人がいなくなることがいちばんいいという考えだ。この考えは
67 年の第 3 次中東戦争直後から『大イスラエル運動』の主張になっていた。つまり占領地のパレスチナ人たちをヨルダンに追放して、そこに旧ソ連のユダヤ人たちを迎えようという運動だった」
この「人口学的な解決」は、「トランスファー (移送) 作戦」と呼ばれた。立案者はズエビ観光相だった。テルアビブ大学のザンド教授
(歴史学) は、「移送作戦はドイツ支配地域からユダヤ人を移送することによって『ユダヤ人問題』を解決しようとしたアイヒマンの仕事を想起させる」と語る。そして次のように続ける。
「こういうイデオロギーのおかげで私の祖父や祖母がアウシュビッツで殺されたのに、その主張者を内閣に迎えるまでイスラエルは右傾化したのだ」
「移送計画」はユーゴのミロシェビッチの「民族浄化」につながる。イスラエルでこの政策の立案者がズエビ観光相だったのである。
そのズエビが 10 月 17 日に暗殺された。
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