(広河 隆一 記)
本書の刊行のために本格的に取材を始めたのは、3 年前です。
この第 2 巻『消えた村と家族』の取材にあたっては、All
That Remains (Walid Khalidi, Institute for Palestine
Studies, 1992) と、イスラエル建国前に作成されたパレスチナ地図を参照しました。この地図は
1942 年にイギリスによって製作されたもので、その後 1955 年にイスラエルが、この地図の上に紫色のインクで、廃墟になったパレスチナの村の名の下に「廃墟になっている=ハルース」を、1942
年以降建設されたユダヤ人の居住区にはその名前を、それぞれ印刷したものです。
この地図をもとに、私は数年かけて、村々の痕跡を探し回りました。しかしその多くは跡形もなく消えていました。数時間かけて探して、確証が持てなかったため、撮影を諦めた村もあります。
また軍事施設が設けられたため、近づくことさえ不可能な場所も多くありました。またユダヤ人の住民が私の意図を察して、撮影を禁止したケースもあります。ある地区の撮影中に、セキュリティの人間がその地区への立ち入りを禁止した場合もあります。
ある村の名を見直したとき、不覚にも涙があふれたことがありました。村の名は「野の花が咲き乱れる村」というのです。草木に瓦礫が隠れてしまった村の名としては、あまりに無惨でした。
こうして私はおよそ 270 の村を撮影しました。その中に 1967
年に消えた 2 つの村も加えてあります。
ワリード・ハリディの前掲書には、1948 年のイスラエル建国とともに消えたパレスチナの村は、およそ
418 ヶ所と書かれていますから、3 分の 2 を撮影したことになります。
第 2 巻「はじめに」より