HIROPRESS.net 『写真記録 パレスチナ』全 2 巻
■ GALLERY 3
『写真記録 パレスチナ』プレビュー写真展
写真:広河 隆一
消えた村と家族
 
Posted: 9/11/2002
 10 月刊行予定の 2 巻組写真集『写真記録 パレスチナ』のプレビューを 2 回に分けてお送りします。
 1 回目は、第 2 巻『消えた村と家族』のご紹介です。あわせて、7 月 6 日の HIRO COLUMN「消える村の記録」もご覧ください。
 写真は、クリックすると拡大表示されます。短いキャプションを添えてありますが、写真集には、取材したパレスチナ難民の、より詳細な証言も収録されています。
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ティーラ (ハイファ地区) サイード・オスマーン・ディルバス (62 歳、右)

 こんな情景は、人類の歴史の中で繰り返されてきたことだ、と、わけ知り顔で片付ける人がいる。パレスチナ人の悲劇は見過ごせない、しかしだからといってパレスチナ人のテロや暴力を認めるわけにはいかない、と、「中立」を決め込む人がいる。かつてユダヤ人がなめた苦難と辛酸にも目を向けるべきだ、と、「公平」を期する人がいる。後ろ向きに過去の悲惨を詮索するより、前向きに未来の共生の可能性を発見し強めていくべきだ、と、説く人がいる。

 広河隆一が身を挺して現場に立ち会い、死者と廃墟の声に耳を傾け、生きて人間の尊厳、文化の根拠を回復したいと願うパレスチナ民衆の夢を理解しようとして蓄積したこの写真記録には、私の見るところ、上記のような世人の「常識」なるものを粉砕する力があると思う。

板垣 雄三
東京大学名誉教授、東京経済大学名誉教授
第 2 巻「推薦の言葉」より
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バルクースィヤ (ヘブロン地区) オマーン・アービド・カッサーン (38 歳、右)

There is no doubt that it is the obligation of Israelis to acknowledge the fact that we ran over the Other, and that we are still doing so. I would wish Hirokawa's book to be published some day in Israel. His beautiful and precious contribution to the Palestinian people must also become a part of the Israeli culture and collective memory.

Shlomo Sand

 私たちイスラエル人は、他人を踏みにじり、今なお彼らを踏みにじり続けていることを、知る義務がある。故に、私は広河の本が、近々ヘブライ語でも出版されることを期待するのである。広河の尊く美しいパレスチナ民族への貢献は、イスラエル人の文化と記憶の一部になるべきである。

シュロモー・ザンド
テルアビブ大学歴史学教授、ユダヤ人
第 2 巻「推薦の言葉」より
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ディール・ヤースィーン (エルサレム地区) イブラーヒーム・ジャマール・サーリハ・ハミード (52 歳、右)

It looks no less shattering and impressive than the one on Chernobyl.

Noam Chomsky

 この写真集は、著者の前書 (『チェルノブイリ 消えた 458 の村』) にまさるとも劣らないほど、衝撃的であり、強い感銘を与えてくれる。

ノーム・チョムスキー
ユダヤ系アメリカ人、世界的な言語学者、知識人
第 2 巻「推薦の言葉」より
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イジュザム (ハイファ地区) ラジャーウ・ムスタファ・アブー・アッターフ (72 歳、右から 2 人目)

 (広河 隆一 記)

 本書の刊行のために本格的に取材を始めたのは、3 年前です。

 この第 2 巻『消えた村と家族』の取材にあたっては、All That Remains (Walid Khalidi, Institute for Palestine Studies, 1992) と、イスラエル建国前に作成されたパレスチナ地図を参照しました。この地図は 1942 年にイギリスによって製作されたもので、その後 1955 年にイスラエルが、この地図の上に紫色のインクで、廃墟になったパレスチナの村の名の下に「廃墟になっている=ハルース」を、1942 年以降建設されたユダヤ人の居住区にはその名前を、それぞれ印刷したものです。

 この地図をもとに、私は数年かけて、村々の痕跡を探し回りました。しかしその多くは跡形もなく消えていました。数時間かけて探して、確証が持てなかったため、撮影を諦めた村もあります。

 また軍事施設が設けられたため、近づくことさえ不可能な場所も多くありました。またユダヤ人の住民が私の意図を察して、撮影を禁止したケースもあります。ある地区の撮影中に、セキュリティの人間がその地区への立ち入りを禁止した場合もあります。

 ある村の名を見直したとき、不覚にも涙があふれたことがありました。村の名は「野の花が咲き乱れる村」というのです。草木に瓦礫が隠れてしまった村の名としては、あまりに無惨でした。

 こうして私はおよそ 270 の村を撮影しました。その中に 1967 年に消えた 2 つの村も加えてあります。

 ワリード・ハリディの前掲書には、1948 年のイスラエル建国とともに消えたパレスチナの村は、およそ 418 ヶ所と書かれていますから、3 分の 2 を撮影したことになります。

第 2 巻「はじめに」より

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