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■ SPECIAL 写真・文:広河 隆一
アフガン救援のための覚え書き
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Posted: 1/13/2002

 北部の難民キャンプ

Photo by Hirokawa Ryuichi
泊まる所がなく、モスクの外に暮らしている難民たち。クンドゥズ近くのバグヒシャルキャト難民キャンプ

 クンドゥズは、タリバンが立てこもった激戦地だ。この町にはホテルが 1 軒しかなく、それもひどい部屋で、ガラス窓は割れ、ベッドは湿っている。みんなが靴のまま寝たのではないかと思えるほど、どろどろだ。でもここしかない。水がにごっているため、歯も磨けない。部屋代、夕食代、暖を取るための薪代を合わせて 、2 人で 80 万アフガニだった。

 翌朝、タクシー (乗合ではなく“スペシャル”と呼ばれる貸切) で 20 分ほどのバグヒシャルキャト難民キャンプに行く。

 このキャンプの状況はすさまじい。救援の手がどこからもない。2 週間の間に 200 人以上が死んだという (このキャンプの状況について詳しくは、『週刊金曜日』1 月 11 日発売号を見て欲しい)。

 死因は寒さと飢えと医薬品の欠如だ。医者も看護婦もいない。ここの住民数は 2 万 4,000 人。屋根も無いところに多くが住んでいる。雨に打たれるままだ。屋根を作るのに 50 ドルかかるという。

 クンドゥズとこのキャンプの間は、往復で 40 万アフガニだった。

 クンドゥズからポレホムリまで戻る。3 時間余りだが、ラマダン明けで乗合タクシーがなく、スペシャルで 70 万アフガニ取られた。

 途中でもそこかしこに、粗末なテントの小さな難民キャンプがあった。

Photo by Hirokawa Ryuichi
病気の子どもを見せる父親。ホジャアルウォン難民キャンプで

 翌日、ポレホムリからマザリシャリフのほうへ 30 分ほど行った所にあるホジャアルウォン難民キャンプを訪ねる。4 ヶ月前にできたが、空爆後、人口が増え続けている。5 万人というが、それよりは少なそうだと思った。UNHCR (国連難民高等弁務官事務所) がテントを支給し、UNICEF (国連児童基金) や NGO の ACTED (Agency For Technical Co-operation and Development) も活動している。

 それでも、医薬品も食糧も不足している。子どもたちの多くは病気である。

 いったんポレホムリに戻り、乗合タクシーに乗り換えて、マザリシャリフに向かう。道は非常によく、2 時間半で着いた。

 泊まったナザルゴ・ホテル (2 人で 30 ドル) の管理人、ネザムディーンは、ダレイチョバキ村の出身だった。この村と周辺で多数の死者が出ているという。彼によれば、この 1 ヶ月の子どもの死者数は 1,500 人という。確かめに行きたかったが、護衛を多数つけなくては、とても行けない場所だ。今回はあきらめることにする。彼の話で分かったことは、アフガニスタンの小さな村むらの多数が、孤立し、難民キャンプ化しているということだ。この冬、すさまじい死者が出るのではないかと想像できる。この件は、カブールで会った日本の NGO、ピース ウィンズ・ジャパンの人に、機会があれば調査して欲しいと頼んだ。

Photo by Hirokawa Ryuichi
マザリシャリフ近くのベーデル難民キャンプは、足の踏み場もないほど、小さなぼろきれのテントで込み合っている

 マザリシャリフ市内には、ベーデル難民キャンプがある。ぼろきれのテントが、足の踏み場もないほど並んでいる。捕虜が多数死んだカライジャンギの近くにもぼろぎれテントの難民キャンプがあった。

 ここから 3 時間のサマンガンの難民キャンプでは、ピース ウィンズ・ジャパンや、国境なき医師団が活動しているが、時間の都合で訪ねることはできなかった。

 このあとトンネルを通ってカブールに戻ったが、たった 5 日の間にドルは半値になっていて、宿泊も車代も、すべて倍近くかかった勘定である。カブールで 5 日前に 30 ドルで泊まったホテルには 60 ドルを請求され、しかたなく民宿したほどだ。

 カブールでは、北部の激戦地の跡や空爆の跡、国境なき医師団の診療風景、インディラ・ガンジー子ども病院などを取材した。

Photo by Hirokawa Ryuichi

カブールのインディラ・ガンジー子ども病院も医薬品不足で苦しんでいる。この子どもたちは複数の病気を併発している

 帰国は陸路を取らなかった。国連の飛行機が 600 ドルまで値下がりしていたので、それでイスラマバードに戻ったのである。

 日本についたときは衰弱しきっていた。多くの日々、ビスケットだけで耐えていたのだから、まあ仕方ないと思う。しらみがいっぱいついていると思われる衣服は、途中からビニール袋に入れて、帰国直後に洗濯機にほうりこんだ。

 ところでイスラマバードでは、日・パ旅行社の督永さんに大変お世話になった。彼女は取材の手伝いで得た金を、救援に当てている。素晴らしい人である。近く彼女の手記が刊行される事になっている。

 日・パ旅行社はガイドの斡旋もしてくれる。救援のアドバイスも、お願いすればしていただけると思う。

 もうひとつ、アフガン人ガイドの斡旋などをしてもらえる旅行社に Cox & Kings Pakistan Ltd. (E メール:candk@apollo.net.pk) がある。この会社には日本語のできるガイドもいる。

 私がお願いしたアフガン人ガイドを紹介することもできるが、救援目的の方に限らせていただきたい。

週刊金曜日
http://www1.jca.ax.apc.org/kinyobi/

日・パ旅行社
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/

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01/10/02 (3) サラン・トンネル〜クンドゥズ
01/05/02 (2) ジャララバード〜サラン・トンネル
01/01/02 (1) ビザの取得とアフガニスタンへの入国
 
過去の SPECIAL
アフガン難民キャンプで思ったこと (全 6 回)
12/07/01 (6) 富と貧困
12/03/01 (5) なぜアメリカを憎むのか
11/29/01 (4) 難民キャンプで鬱屈するもの (その 2)
11/23/01 (3) 難民キャンプで鬱屈するもの (その 1)
11/19/01 (2)「アメリカ人だ」
11/17/01 (1) 難民の流入

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