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■ SPECIAL 写真・文:広河 隆一
アフガン難民キャンプで思ったこと
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Posted: 12/7/2001

 富と貧困

 広辞苑で「貧困」を引いた。「まずしくて生活が苦しいこと」とある。

「貧しい」を引くと「金銭、物資などが乏しいこと」とある。アフガン難民キャンプで、貧困と貧しさの間の距離を感じた。

Photo by Hirokawa Ryuichi
シャムシャトゥ難民キャンプ。空爆で難民になった子どもが食器を洗っていた

 貧困は文字通り、困窮し苦しい状態を言うのだろう。しかし貧しさは、当人にとっては、満ち足りた状態の場合もある。物資がないことは、慎ましさだったり、「物資の氾濫に対する拒絶」だったりするかも知れない。

 イスラム「原理主義」と西側が呼ぶものは、貧しさの中に育ち、つちかわれた。それは慎みだったり、物質的欲望からの解放だったり、神への敬虔さだったりした。

 こうした慎みは、何もイスラム教に限ったことではない。あらゆる宗教がこうした態度を神に近い者、聖職者に求めている。エルサレムに住む正統派ユダヤ教徒たちは、テレビも見ない。1 日の生活は神への祈りのためにあるのだからという。彼らは自分たちを貧困の状態にあるとは考えていない。この神に捧げる生活は自分で選び取ったものだからだ。

 しかし貧しさと貧困はたえず振り子のように振れる。

 食べる物もない状態になると、不公正の認識がはじまる。富の享受がある人間たちにだけもたらされていることを知る。

 貧困からの解放は、不公正からの解放とともに進む。

 難民キャンプは、慎ましさの象徴ではなく、貧困の象徴である。不公正と、矛盾の象徴である。ニューヨークのツインタワーの対極にあるものである。

 第一期のアフガン難民は、旧ソ連によってもたらされたが、難民キャンプからは、自分たちの貧困を代償にして肥え太っているかに見える象徴としてアメリカがうつるのだ。

 本当に危険なものは、イスラム「原理主義」ではなく、食い荒らした末に放置した世界である。それが貧困なのだが、それを是正するためには、収奪する者は自分の生き方を変えなければならない。しかし失うことを拒否するアメリカは、決して世界の貧困は解決できないのだ。富める世界は、貧困な世界をさらに追いうちする。人間の誇りを奪い取るのである。

Photo by Hirokawa Ryuichi
ナサルバハ難民キャンプの入り口付近にある市場

 かくして難民キャンプに鬱積するものが、出口を求める。旧ソ連の侵攻から 10 年以上がたった。しかし、自分の家族が難民キャンプから抜け出る可能性は見えない。自由の剥奪、将来の閉塞、子どもたちに何も約束できない…。かつて私がパレスチナ難民キャンプで見てきたとおりだ。

 こうした状態にあるアフガン難民社会に、ビンラディンが出口を与えたのは、想像に難くない。何万もの男たちが、タリバンの戦列に参加していくことになる。それは彼らにとって、人間の尊厳を再び獲得するための道だった。そしてその過程で、絶対の貧困の底から、世界の不公正と、それによって作られているアメリカを頂点とする不平等を撃とうとする。

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アフガン難民キャンプで思ったこと
(1) 難民の流入
(2) 「アメリカ人だ」
(3) 難民キャンプで鬱屈するもの (その 1)
(4) 難民キャンプで鬱屈するもの (その 2)
(5) なぜアメリカを憎むのか
(6) 富と貧困

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