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難民キャンプで鬱屈するもの (その 2)
前出のガッサン・カナファーニの『彼岸』には次のような文章がある。
「あんた達は、この百万人の人間から一人一人が持っている各自の特性ってやつを喪わせちまったんですよ。……俺達にはまず見せ物的な商品価値があるんですよ。ここを訪れた観光客は、難民キャンプを見落としちゃいけねえってわけですよ」(奴田原睦明訳)
カナファーニは、難民たちがいかにも哀れっぽい感じで、欧米人の前に立って援助を求めることを迫られていると書く。
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難民を満載して走る車。シャムシャトゥ難民キャンプの入り口近くで |
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タリバンが人権侵害や女性蔑視、迫害を行ったことは、事実だろう。しかし、それをとるに足りないことのように考えた難民も多い。生殺しの生活に救済があるとしたらそれは神によるもので、イスラムの伝統が厳しく解釈されたところで、難民には非難すべきこととは感じられないのである。
彼らにとって慈善だけを頼りにする毎日は屈辱的だ。
未来の突破口を指し示すようなものでない限り、支援はたえず両刃の刃となる危険性をはらんでいる。
私が初めてガザ地方を訪ねた 1968 年ごろ、バス停留所で 1 人の少女が太鼓を私に売ろうとした。素焼きの壷に羊の毛を張った
10 円ほどの太鼓だった。私は一つ買った。その子はもっと買ってほしいといった。私はそんなに買っても持ち歩くことができないが、お金が必要なら上げると、小銭を紙で包んで、バスの窓からその子のほうに投げた。包みは地面に落ちて小銭は大きな音を立てて飛び散った。
この時のことについて、私はかつて次のように書いた。
「彼女は驚いて非難するように私をにらんだ。周りにいた子どもたちが走ってきて、お金に群がった。彼女は拾わなかった。そして私をにらみ続けた。
彼女は憐れみを私に乞おうとしたのではなかったと、その時私は理解した。彼女は慈悲を求めたのでもなかった。太鼓を売って、その正当な報酬を得ようとしただけなのだ。さらに彼女の非難の目は、自分たちがこのような状態になったのは、あなたたち世界中の責任でしょうと言っていた。彼女は私をにらみながら、その悲しみと怒りを私に向け、そして同時に、パレスチナ人としての毅然とした威厳を、幼くして身につけていて、私を圧倒した」(徳間文庫『パレスチナ
- 瓦礫の中のこどもたち』)
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| チャマン難民キャンプ。国連難民高等弁務官事務所の手で
10 月末に開設された |
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私たちは、難民から何を奪い取ってしまうのか。
支援が必要なことは当然だ。しかしどのような立場でそれを行うかが、大いに問われている。それは難民が発生する状況に責任感を持つことに関係している。
パレスチナでもアフガンでも、世界中の難民キャンプで同じことが起こっているのだ。ぼろぼろになって慈善を受けているように見えても、人々の心の中で大義はかすかに光を保っている。「こんなことがあっていいのか」という疑念が絶えずふくらむ。
結果的に正しかろうが間違っていようが、キャンプの男たちは、尊厳を取り戻すためにタリバンの戦列に向かった。それしか道はなかったのである。
ところが今、タリバンの敗退とともに、難民の子どもたちの心には別な屈辱感が育っているはずだ。
>> (5)
なぜアメリカを憎むのか

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