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ハイアット・ホテル
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ハイアット・ホテル。カメラマンの内部立ち入りは数日間禁止された |
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私は 16 日にエルサレム入りをしていた。そして常宿であるハイアット・ホテルに入った。ここはかなり高いホテルだが、ジャーナリストには半額になるので、普通のホテルよりもずっと安くなるからだ。おまけにここは東西エルサレムの境界線にあるため、パレスチナ側の取材のベースにするのも容易だ。ジャーナリストが集まるアメリカンコロニー・ホテルはかなり高く、私のように自費で取材する人間はとても泊まれない。
このハイアット・ホテルが開設された時期は、インティファーダ(パレスチナ人の大衆蜂起)の嵐が吹く直前だった。東西エルサレムの境界という立地条件は、危険性が高いことを意味した。客室からはエルサレム旧市街を見渡せ、美しいが、あらゆる所から進入できる危険な場所でもあった。そのため客が遠のき、このホテルは経営に苦心することになる。しかし今年夏に
PLO のエルサレム代表部の役割を果していたオリエントハウスがイスラエルの手で閉鎖された後、このハイアット・ホテルがパレスチナ人とユダヤ人の接点になった。双方の要人も泊まるようになり、重要な会議も行われた。シオニズム(ユダヤ人のイスラエル建国運動)関係の重要な国際会議も開催されるという特殊なホテルでもあった。
イスラエル極右の代表であるズエビ観光相はこのホテルが気に入っていて、国会の会期中はいつもこのホテルに宿泊し、8
階の同じスイートルームを利用した。イスラエル秘密警察シャバクは、彼に部屋を変えろと何度も警告したが、ズエビは聞き入れなかったと言う。
暗殺の日
10月 17 日朝 6 時前、私は CNN ニュースをつけた。それからメールをチェックした。7
時前、耳障りな叫び声が聞こえた。4 階の部屋の中でしかもテレビをつけていたから、すぐ私は耳の迷いだろうと自分で打ち消した。7
時のニュースが始まった。私は 1 時間前のニュースを見ていたから、テレビを消して部屋を出て、同じ階の食堂に行った。15
分前にズエビはこの食堂で妻と朝食を終えていた。そのとき、彼は妻に「誰かに見張られているようだ」と言っている。
ズエビは妻を置いて一人で食堂から 6 階のフロントに行って、そこから専用エレベーターで自分の部屋のある
8 階に上った。
ズエビに会うことを約束していたジャーナリストから、部屋に電話してもズエビが出ないと、食堂にいた妻に連絡があった。妻は不安を覚えて
8 階に行き、部屋の前で、眼とあごを打ちぬかれて倒れているズエビを発見し、叫び声をあげた。私が
7 時前に聞いたのはこの妻の声だったのだ。
このホテルは 4 階から最上階まで吹き抜けになっていて、8 階の通路の物音はロビーでも聞こえるはずだった。しかし、消音銃を使った犯行の音は誰一人聞いていない。そして
2 人いたと見られる実行犯と、食堂にいたと思われる見張り、連絡役は忽然と姿を消した。
私が食事を終え、6 階から新聞を買うために外に出たのは 7 時 20 分頃である。すでに妻の叫び声は収まっていて、気配はなかった。しかし外に出たとたんに、私はホテルに駆けつけてくる警察や軍に驚いた。そのとき私の携帯電話が鳴り、CNN
の友人が連絡をいれてきた。このホテルで閣僚が暗殺されたと言うのである。
私は部屋に走って戻って、カメラを持って外に出た。そしてその直後にホテルは封鎖された。この日は泊り客といえども、夕方まで立ち入りを禁止される。
顔を隠した特殊部隊が地下のガレージに入っていった。まだ犯人たちが潜んでいたかもしれなかったからである。警察犬も投入された。
捜索はあらゆる箇所に及び、私の部屋も、戻ったらドアに「捜索済み」のシールが貼られていた。そして全従業員がシャバク
(イスラエル秘密警察) の取調べを受けた。このホテルではほぼ全従業員がパレスチナ人だったのである。
PFLP(パレスチナ解放人民戦線)が犯行宣言した。
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