May 12, 2007

自爆

自爆攻撃を仕掛けるパレスチナ青年を描くパラダイス・ナウという映画が上映されている。この映画は多くの賞を取った。いわばテロリストをテーマにしたこの映画が、なぜ賞をとったのか。
自爆攻撃は、ふつう追い詰められた行為だ。復讐の意識と重なる場合が多い。虫けらのように家族や友人が殺され、恋人が殺されていく状況の中で、自分の命を懸けても相手を殺したいという動機が生まれる。実際自爆攻撃のターゲットは、ふつう市民だ。兵士がターゲットになるよりも、それのほうが圧倒的な恐怖を与えることができる。また軍が相手の場合よりも比較的楽に実行できる。
しかし、映画の場合は、自分の家族が殺されたからといって、相手の家族を殺した筋書きでは、賞を取れない。アメリカ映画の多くが、恋人を殺されたから復讐をするストーリーはあるが、相手の恋人を殺さないという一線がある。
パラダイス・ナウは、家族を殺されたのではないが、占領という閉塞状況から抜け出るために、自爆を志願する若者たちの物語だ。その2人のうち1人は脱落し、残った1人が乗ろうとしたバス(ふつうバスが狙われることが多い。密閉されているし、人間が詰まっているため、効果が大きいからだ)に小さな子が乗っているのを見て、乗るのを止める。最後に乗るバスにはイスラエル兵たちの姿が多く見える。これなら「テロリスト」の心情が理解できると審査員は考え、賞を与えたのだろう。
しかしそれだけでは賞を取れない。動機が問題だ。占領下の閉塞状況から逃れようとする自爆仲間は脱落する。最後に残った男は、父親が裏切り者として処刑されたという過去をもっていた。彼の屈辱はどこにも向けられず、裏切り者の息子として育った。実際にそのように追い詰められた青年の家族に会ったことがある。パレスチナでは裏切り者の処刑はすさまじい。公開で行われる場合も多い。裏切り者=スパイのおかげで大勢の仲間が殺されるのだから、報復は激しい。
彼のアイデンティティの回復は、自爆攻撃をすることでしか回復されないと、彼は考えたのだろう。屈折したアイデンティティの物語としてこの映画は賞を受けた。屈折したアイデンティティは、パレスチナ人のとかユダヤ人のとかいうアイデンティティの物語を、人間のアイデンティティの物語に昇華する。だから賞が与えられる。
しかしその流れの中で、問題は置き去りにされていく。これが単純な占領地での弾圧の物語だったら、賞は取れなかっただろう。それは賞を与えるには危険すぎる。こうしたことにこそパレスチナ問題の困難さが見て取れるように思う。

By 広河隆一 @ 09:10 PM | | コメント (4) | トラックバック (0)

コメント

確かに、おっしゃる通りです。
ただ、もし、自分の子供が殺された時に、自分を抑えられるか?
自分でも自信がないです。
「そんな事ではいけない。」といくら理屈でわかっていても、当事者となった時に、本当に実行できるのか?
これは、感情を持った人間である限り、避けて通れない問題だと、思います。
だからこそ、パレスチナ問題を他人事と思えないのかも知れません。

By パディントン・プー | May 13, 2007 03:45 AM


上映後、席から立ち上がるのが本当に大変でした。「静けさ」が重く哀しく響く映画。

昨年のアカデミー賞にノミネートされた際、在米イスラエル人達が抗議の声を挙げたという事も話題になりましたね。それでもこの映画がアメリカやイスラエルで上映されたのは、わずかでも状況を変えようとする動きがある事と思ってもいいのでしょうか?

By C.L. | June 3, 2007 09:23 PM


初めましてで申し訳ないんですが、率直に聞きます。
広河さんは自分で撮った写真を通して第三者にどういうメッセージを込めてますか?
たとえばパレスチナで撮った写真とか??

By フォッター | June 7, 2007 11:56 PM


私の舅は特攻隊員だった。突撃の順番が回ってくるほんの数日前に終戦を迎えたそうだ。彼は当時14歳。地方の農家出身の素直な少年兵で、自爆は資源のない日本の最後の戦法&死ぬのは御国の為と信じたし、今も信じている。これは戦法として帝国海軍が認めたもので、テロではない。
一方、私の勤務時代の取引業者の某役員は、小学校の疎開中、浅間山麓で陸軍の特殊訓練を受けたそうだ。これは完全に自爆攻撃だった。上陸して後、気の緩んだ米兵に子供たちを群がらせ手榴弾で自爆すると戦法で、用意している弾に威力がないのでマンツーマン攻撃をする予定だった。やはり終戦となり、子供に鬼のように特殊訓練をした軍曹は自害。子供たちは山から転がるように逃げ、東京に戻った。戦後も口外したことはなかったというその話をしてくれたのは大喪の礼の前日だった。戦後の東京の状況を思えば、彼の困難はずっと続いたわけだが、とにかく今日まで彼は生き延びた。
国破れて山河あり。敗戦してもともかくも帰る故郷、帰る国があったことは何と幸せなことだったろう。
だから、パレスチナの自爆攻撃はもっと深い。それは日本で起こったような軍の強制の戦法とは全く違う。女性や子供が自爆するニュースを聞くと、最後の攻撃手段とか敵への憎悪と言うより、私たちを含めたこの世界への絶望と悲しみを感じる。
彼らの目的は彼らの深い絶望を世界に知らしめることのように思う。それはDAYSJAPANからも感じる。

最後に、マスコミがイラクで起きる無差別の市民虐殺、リモコン操作の自動車爆弾攻撃を自爆テロと報道しているのは誤りだ。いつまでそういう報道をするのだろうか。米軍のテロ工作は、基地の多い日本の場合他人事ではない。テロ対策という言葉を聞くと、まず米軍がテロ活動しないよう何か対策を講じるべきではないかと考えてしまう。そして基地削減と政権交代を強く望む今日この頃だ。

By うだすみこ | October 27, 2007 07:54 AM


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