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■ HIRO COLUMN EXTRA
フォトジャーナリスト講座
文:広河 隆一
ジャーナリストの戦争
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Posted: 5/7/2002

 HIROPRESS へのご質問に、写真の撮り方や現地への行き方、撮影現場へのアプローチなどのお問い合せがよくある。そうしたときに私はロクにお答えをせず、申し訳ないと感じることが多い。しかし私自身、相手の人と様々な問題への考え方を共有できて、はじめて協力したいという気持ちになるのであり、そうしたことを抜きにして、技術的なことや実務的な話はできない性分なのだ。

 そこで、私がフォトジャーナリズムについて今、どのようなことを考えているか、書き留めておこうと思う。私がどのようなジャーナリストに共感を覚えるのか、ご理解いただけるかもしれない。

 ジャーナリストの逮捕

 私がパレスチナの取材でよく行動を共にするフォトジャーナリストがいる。マフーズ・アブトゥルクというパレスチナ人で、ロイター通信社に属している。私は現場では、ほとんど最長老に属するが、彼も 50 代半ばで、私たちがいっしょに行動すると、「オールド・ベテラン・フォトジャーナリストたち」と、からかわれたりする。

 この「ベテラン」たちは、どこでも一番に飛び込んでいかないと、気がすまないのも共通している。私はニュース・カメラマンではないから、一番乗りする必要はないのだが、2 人ともジャーナリスト立ち入り禁止の場所に、「隠そうとする権力の意志」を感じるため、どうしても入っていこうと無理をすることになるのだ。

 しかし封鎖されたジェニン難民キャンプでは、私たちは別々に行動した。彼はヨーロッパからのロイター特派員やテレビ班といっしょに行動する必要が生じ、防弾仕様の車で移動したのだ。彼のロイター・チームがジェニン難民キャンプに入ったのは、私が入る 2 日前である。

 彼は、ジェニンで虐殺があったかどうかについて、何日にもわたって取材をした。キャンプを出るところでカメラやデータ (彼らはデジタルで撮影していた) を没収されるかもしれないと考え、ジェニン市内の自家発電装置を備えた家を探し出し、そこからサテライトを使って発信したという。

 私は 17、18 日と 2 回キャンプに入ったが、彼はそのあと、20 日にキャンプを出たところで、イスラエル軍に逮捕された。目隠しされ、手錠をはめられ、軍の車両で移動させられた。それから 22 時間後に釈放されるまで、水一滴も与えられなかったという。

 24 日には AFP のアブ・アランが逮捕され、目隠しされ、連れ去られた。

 イスラエルは、つい最近までこういう事を決してしなかった。ジャーナリストと軍隊は、どこでもせめぎあって、対立したが、すぐに発砲、逮捕というようなことは、ほとんどなかった。2 月から 4 月までの戦争で、イタリア人ジャーナリストが射殺され、フランス人ジャーナリストが首を撃ち抜かれている。プレスカードを取られた者は数多い。パスポートを破られた者、強制退去させられた者もいる。

 あらゆる戦争は、ジャーナリストと軍の戦争という側面をもっている。

 新たなジャーナリスト集団の構想

 エルサレムで、日本フォトジャーナリスト協会 (Japan Photo Journalist Association = 仮称) の設立について、何人かの人々と話をした。ビデオジャーナリストを含む、写真・映像分野のフリーランス・ジャーナリストの集まりにしたいと考えている。

 ゆるやかなつながりをもつ集まりでいい。ゆるやかなといっても、ジャーナリストとしての責任を重く考えている者の集まりにしたい。

 日本を含む世界中で、ジャーナリストに対する締め付けがきつくなり、取材と報告の権利を守るのが大変になっている。特にフリーランスは、取材に不利益を感じる権力のもとで取材を続けることが困難だし、拘束されても保護されることが少ない。

 もちろん写真家やジャーナリストには、すでに複数の大きな団体があり、私もそのいくつかに属している。そのことで、守られている部分もある。しかし、それはあくまで職能としての団体である。そうした団体の重要性はいうまでもないが、私はもう少し小規模な、フォトジャーナリストとしての志をひとつにする団体の必要性を感じてきた。そのような会ができればいいと思っている。

 問題は、どのような志をもつのかということだ。

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