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【東京 10 日】
新年のご挨拶
あけましておめでとうございます。
お正月はいかがお過ごしでしたか。私は 31 日から今まで毎日事務所に出て、アウシュビッツを中心とするユダヤ人の歴史、そしてジャーナリズム関係の本を 9 冊読みました。本を読むのは久しぶりです。
5 日の日曜日は小田原の海のすぐ側らにある仕事部屋の片付けに、ボランティアの人々
5 人といっしょに行って、資料の整理をしました。資料が出てくるたびに私の手が止まり、懐かしくてみんなにいろいろ話しました。この部屋で岩波新書「パレスチナ」を書いたのが始まりです。 DAYS JAPAN 誌について
DAYS JAPAN 誌の創刊号が資料の山から出てきた時は、どのようにしてこの雑誌が始まったのか、どのような人々が集まったのか、何を目指したのか、創刊号の核の特集「4
番目の恐怖 」はどのように企画され、取材されたのか、などを話しました。実はこの海の仕事部屋がそのときの編集会議室だったのです。広瀬隆さんがみかん山を下って訪ねてくれました。彼と私が会議している写真が、創刊号の最後のページに掲載されていました。
そしてこの雑誌の廃刊が決まった後、私はジャーナリズムの世界から退いて、この部屋に住まいを移し、毎日漁師の手伝いをしていたのです。やがてここに住む漁師たちが話す言葉に興味をもちました。彼らは関西の言葉を話していたのです。私は時間を見つけては彼ら海の民の源流を訪ねるようになりました。取材の一部は番組にもなりましたが、ほとんどはまだ発表していません。
整理を手伝ってくれた人々に、私は私が心に温めている企画の話をしました。古事記や日本書紀に出てくる海の民の話です。なぜ天皇の歴史書にこれほど多くの海の民の話が登場するのか、という話です。
掃除をするうちにハザールの資料も出てきました。カスピ海と黒海に挟まれた地域を統治していたユダヤ教徒の遊牧民族のことです。このハザール帝国がなぜ滅びたのか、私が遺跡発掘調査団の団長になって、その消えた首都をどのように探したのか、発掘調査をどのように行なったのかなど、ずいぶん話しました。思い出が次々に心に蘇ります。 続 朝日は恐れよ
しかし思い出にふけっている場合ではありません。
前回のコラム「 2002 年を振り返って」で取り上げた朝日新聞の社説「イラク政府は恐れよ」に続いて、恐ろしい社説が現われました。 1 月 4 日付け朝日新聞社説「歴史は繰り返すのか」です。
ここにその社説の概要をあげます。
まず社説は、1991 年の湾岸戦争の時、イラクが撤退を渋って戦争になったことを思い起こさせ、歴史は繰り返されるのか、と述べています。(湾岸戦争ではイラクがクウェートに侵攻したことが引き金になりましたが、今回はイラクがなんらかの侵攻を行ったわけではありません。フセインが「独裁者」で大量破壊兵器を開発して使うかもしれないと考えるアメリカが爆撃しようとしているのです。これには多くの国々が批判を述べています)
社説は次に、これまでのところイラク政府が査察に協力していると書いています。だがイラクの主張は信用できない、それは以前に嘘をついたからだというのです。そのようなイラクに対してアメリカは攻撃の態勢を整えている、と社説は続きます。こうして朝日の社説は次のような結論を引き出します。
「それでは戦争を回避するには、どうしたらよいのか。フセイン大統領が辞任し、イラクが国際社会に恭順の意を表すのが最善の方法だ。そうすれば、イラクの大量破壊兵器を一掃することは可能になる。」
社説の筆者は、もうひとつの方法として、武力行使をしないで、すべての兵器が破棄されるまで、経済制裁と査察を徹底することを勧めています。
この筆者は、フセインが辞任しなかったり、すべての兵器が破棄されなかったら、武力行使や徹底的な経済制裁が行なわれることもやむをえないと、言外に匂わせています。
経済制裁で何万、何十万のイラクの子どもたちが死んでいったこと、今も劣化ウラン弾で多くの子どもが苦しみ死んでいっていることを、この筆者はどのように考えているのでしょうか。
こんなにお粗末な論理を振り回し、アメリカの広報官のようになってしまった朝日の論説委員はどうなっているのか、あ然としてしまいます。天声人語の筆者の人間味ある書き方と、このタカ派の社説は、朝日の中でも両極端にあります。
私が聞きたいのは、朝日新聞の記者たちが、この社説をどう思っているのかということです。新聞社内部の機構の問題だから、社説がどのように書かれようが声をあげることは出来ないのですか。
しかし今はっきりしているのは、最近の 2 つの社説で、朝日新聞が、近い未来に生じる何万、何十万という子どもや女性を中心とするイラク市民に対する殺害に、責任が生じるだろうということです。子どもの上に落される爆弾を正当化できる理論は、絶対にありません。朝日は戦争をあおる道を歩み始めています。
第二次大戦中に日本のすべての大新聞は、戦争を批判しなかったどころか、積極的に鼓舞宣伝しました。新聞が果たした役割についての徹底的な反省は
, とうとう行なわれませんでした。朝日のむのたけじ記者は、敗戦直前に社内で「戦争報道で国民を欺いた。そこをいい加減にすると、また同じ過ちを繰り返す。このさい記者全員が退職すべきだ」と発言していました。そして敗戦の日に責任をとって退社したのは、彼だけだったのです
(「メディアの検証」朝日新聞取材班著 三一書房刊)。
それでも朝日は 1945 年 11 月 7 日に次のような宣言「国民と共に立たん」を発表しています。
「開戦より戦時中を通じ、幾多の制約があったとはいへ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たし得ず、またこの制約打破に微力、つひに敗戦にいたり、国民をして事態の進展に無知なるまま今日の窮状に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである」
今朝日新聞は非常に幼稚な理論で、戦争をあおる方向に進もうとしており、やがてイラクの子どもたちに、「事態の進展に無知なるまま今日の窮状に陥らしめた罪を天下に謝」することになるでしょう。
戦争をあおっていると言えば、それは心外だと、社説の筆者は言うかもしれません。しかし良く考えてください。この社説は、フセインのせいで多くの人命が爆撃されて命を落すことになっても仕方ないとする論理を組み立てているのです。そしてこれまでの多くの戦争では、こうした記事が人々の心の中に、犠牲を正当化する論理を育てていったのです。やがて人々は犠牲者たちにこう言うでしょう。「言うことを聞かないからそんな目にあうのだ。恨むならお前たちのリーダーのフセインを恨め」と。
しかし社説の筆者であるあなたは 爆撃で死線をさまよう子どもの目をまっすぐに見て「俺はお前の死に責任がない」と言えますか。
社説の筆者は、大量破壊兵器を隠すからいけないのだ、と言います。でも大量破壊兵器を保有するから爆撃することが正当化されるというなら、核兵器を所有しているイスラエルを爆撃してもいいというのですか。
戦争に対して批判的な視点ももてない新聞は新聞ではありません。それとも新聞王ピュリッツァーのように、戦争を煽り立てて、部数を伸ばした例に習おうとでもいうのですか。
ジャーナリズムはいよいよ瀕死の状態に追いこまれています。今本当に危惧しなければならないのは、イラクよりもむしろ朝日新聞の行方なのです。次に大量の犠牲者が発生する前に、私たちは朝日新聞に、人々の命や人権や幸福がかけがえのないものだと感じる、ふつうの感覚を取り戻して欲しいのです。
そこで朝日新聞の全記者、全職員に問います。あなたはこの社説を是とするのですか。

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