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■ HIRO COLUMN 文: 広河 隆一
アフガン街道
 
Posted: 12/3/2002

 【東京 3 日】

 11 月 11 日に出国し、14 日から 28 日までアフガニスタン国内を取材した。取材のテーマは「アメリカはアフガニスタンで何をしたのか」だが、それについては 7 日の日本ビジュアル・ジャーナリスト協会の渋谷での報告会や、今後のコラムでも報告していくと思うので、今回は触れず、取材手帳に書き連ねた言葉を紹介したい。

 カブールからガズニを経てカンダハルに向かう道の両脇の風景は、イラクとクウェートを結ぶ「死の道」の光景に似ている。土漠の中のまっすぐな道。しかしここは「焼きつく砂漠の道」ではなく、すべて土塊に戻される、死の臭いの立ちこめる道に思える。

 広漠とした土漠の丘に、たったひとつの墓があった。冷たく大きな月が背後にかかっていた。

 あるときは道の脇が延々と墓だったりした。

 ここの墓は、石を積み上げただけのものが多い。最近の死者の場所には、竿に布が縛り付けられて、立てられている。

 まっすぐな道なのに道がぼろぼろで、車は S 字を描きながら、時速 10 - 20 キロで進む。

 車が何度も故障する。

 私はラクダのようなげっぷを何度もした。

 周囲の山のいただきに現われた朝の光が、やがて世界のすみずみに満ちていく。この土漠の中で、朝日を浴びて自分の小便が輝くのさえ、生命の輝きに見えるから不思議だ。しかしパキスタンやアフガニスタンの男達は、立ち小便というような、はしたないことをしない。彼らは野外では「座り小便」をするのだ。だから自分の小便が光り輝くことに感動することもないかもしれない。

 今回の旅は、生きている人間が、たえず死の傍らを歩んでいるのを、実感する日々だ。

 カブールからガルデズに向かう厳しい山道を歩いていた女の歩みが、強烈に脳裏に焼き付いている。遊牧民のロマ人が数百頭のラクダの群れとともに、歩いていた。冬が来たため、温かい南に移動しているのだという。その若い女は生まれたばかりの赤ん坊を抱いて、まっすぐ背筋を伸ばして、タッタッタッと歩いていた。それは一切の無駄のない完璧な歩行だった。すべてのことを取り去って、ただ歩むという行為とその姿に、私は圧倒された。

 スピンボルダグの泥棒市場で、私が 1 人車の中に残っているのを知った男たちが、ドアをこじあけようとし、窓を叩き、車を揺らした。外国人だからだ。

 この時、車の中にいるのが女性なら、どれほどの恐怖が加わるのだろうかと思った。女の恐怖感は男には分からない。夜道でも男にとっては何でもない道が、女にとってどれほどの恐怖を感じるものかは、わかりようがない。

 アフガン人の誰もが、車の乗客が誰なのか、うかがう目でのぞき込む。中には好奇心だけではない人間もいるだろう。誰を襲うか、探している人間もいる。外国人で、ジャーナリストや NGO は金を持っているということになる。警戒しなければならない。私はできるだけ車の窓のカーテンを閉めて、その隙間から外をのぞくようにした。誰にも見られたくない。

 このとき私は、すっぽりと体を覆う女の衣装、ブルカのことが分かったような気がした。ブルカで守られているのは女なのだ。ブルカが男の封建制の名残だと批判するのは易しい。しかし、それでもまだ多くの女がブルカを着るのは、ブルカを脱いでも女にとって安心な社会が無いからだ。これはタリバン時代でも、北部同盟支配下でも共通のことだ。この世界の底には、まだ恐ろしい男の暴力と支配の世界がある。ブルカを脱ぐように女を啓蒙するのではなく、ブルカを脱いでも女が安全な社会を、まず作らなくてはならないのだ。

 ホウストからガルデズに向かう道で、横を通った車の男たちが私を見てしまった。彼らはそこで車を寄せて、横を通り過ぎる私の車をじっと見ていた。そこから道は険しくなった。かなりのぼったところで、前から来た車が「強盗が出たというけどどうだったか」と聞く。

 そういえばほとんど対向車両が来ない。知らないと言って峠の検問所まで登ると、待機している車が、私たちを見て、安全になったのかと、逡巡して車を動かし始めた。検問所の兵士に聞くと、すぐ前に強盗が出たという。

 私はあの麓の車の男たちを思い出した。かれらが山の中腹で待機する男たちに「外国人が通った」と知らせたに違いない。しかし私の乗っていた黒のワゴンと同じ車が、先を走っていって、被害にあったのだ。狙われていたのは私だった。銃を突きつけられたら私は何を守るだろう。

 米軍と闘う地方部族が、ジャーナリストをつかまえたらアルカイダに引き渡すと言っている。身代金がすぐ請求されるという。しかし政府は絶対に、身代金を渡すのを引き延ばすか阻止するだろう。テロリストには資金を渡さない、味を占めさせてはいけないという理由で。だから必ず見殺しにされる。パキスタンで殺されたパール記者の場合もそれに似たことがあったのではないか。命を助けることがまず大切なら、政府には知らせないことだ。

 カラトの村で日が落ちた。先を進もうとしたら、夜の移動は非常に危険だと、検問所で止められた。泊まったホテルの部屋の屋根はビニールが張ってあるだけで、床に寝袋を広げて寝た。

 カブールに戻って血尿が出た。血圧は 184 まで上がった。自分の体に「あと 5 日間待て。日本に戻るまで、このままおとなしくしていろ」と言い聞かせた。

 ジャララバードではホテルの近くで、2 発爆弾が爆発した。

 せめて夜には、心優しい夢を見たい。

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