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■ HIRO COLUMN 文:広河 隆一
消える村の記録
 
Posted: 7/6/2002

 【東京 6 日】

 パレスチナの村の写真を撮り続けてきました。

 村といっても、今は誰も住んでいない村、イスラエルができるまで存在していた村です。パレスチナ人の歴史家、ワリード・ハリディは、そうした村が 418 あると言っています。

 しかしイスラエル建国から 54 年たち、ほとんどの村は破壊され、雑草に覆われています。かつての村や道の多くは、新しく建設された高速道路やユダヤ人の居住地によって、ほとんど跡形もなくなっている場合が多いのです。

 それを英国委任統治時代の地図と参考文献を頼りに、探し回って撮影しています。

 村の跡には、サボテンが生えていたり、瓦礫が残っていたりします。周囲の位置関係から、ここだと確信したら、三脚を立てて、カメラをセットします。そしてスローシャッターで、絞りを絞って、シャッターを押します。1 つの村で、ふつう 4、5 回しかシャッターを切りません。そしてまた次の村を探す困難な時間が始まります。

 絞りを絞るのは出来るだけシャープで、隅々にピントが合った写真を撮りたいからです。

 そして、できるだけ感度の低いフィルムを使っています。粒子が細かな写真にしたいからです。

 チェルノブイリの『消えた 458 の村』の写真を撮る時も、同じやり方をしました。

 かつて人々の営みがあったわけですから、たとえ今は廃墟であっても、だからこそ、できるだけ敬意を持って接し、撮影し、威厳をもった写真を作りたいと考えています。

 それが、どこまで成功したかわかりませんが、2 年間かかって、パレスチナの消えた 270 の村を撮影しました。残りの多くの村は軍事施設になっていたりして、撮影はできません。

 これと平行して、パレスチナ難民の肖像も撮影してきました。

 彼らの写真も、たとえ薄暗い所でもフラッシュはたかず、三脚を使って撮影しました。撮影の前に、人々がなぜ村を離れたのか、54 年前の話を聞くことにしています。

 そして今度の写真集では、村の写真の横に、その村出身の難民の写真を置くことにしました。

 衝突の現場では、写っていればいいという感じでシャッターを切っている私ですが、村と難民の写真は、心をできるだけ落ち着けて、時間をかけて撮影しました。

 しかし、イスラエル・パレスチナ滞在中に大きな事件などが起こったり、軍事作戦が始まったりすると、心を切り替えて対応するのは困難です。

 村人たちが故郷の村に抱いている想いは、言葉に言い表せません。その想いがかなうような解決が、近くもたらされると考えるほど、私は楽天的ではありませんが、この村の記録を私が進めていることをユダヤ人の友人に言ったら「それは私たちユダヤ人がやらなければならない仕事なのに」という返事が返ってきました。

 私のこれまでの仕事の集大成ともいうべき『写真記録 パレスチナ』は、9 月下旬か 10 月初めに出版される予定です。その頃、パレスチナを巡る状況はどうなっているでしょうか。

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