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■ HIRO COLUMN 文:広河 隆一
再びエルサレムから
 
Posted: 4/5/2002

 【エルサレム 4 日】

 しばらくコラムをお休みさせていただきました。帰国して、岩波新書『パレスチナ新版』の原稿締め切りに追われていたのです。

 この間に、NHK『BS23』の番組と、朝日新聞「私の視点」欄の写真掲載と、『週刊金曜日』の 3 月 29 日発売号のための準備に明け暮れました。おまけに風邪を引いて大変でした。そしてシャロンが占領地に侵攻したため、あわただしく日本を出ました。

 今日でチェルノブイリ取材後に倒れたときから 1 年になります。ものすごい苦しみで、悪夢でした。あのときはここまで仕事を続けることができるとは、とても想像できませんでした。よくもったものです。

 昨日はエルサレムとラマラを結ぶ道路にあるラマ検問所の撮影に行って来ました。ユダヤ人とパレスチナ人が、ラマラの封鎖とアラファト監禁に抗議してデモをしたのです。

 ユダヤ人 500 人、イスラエルの中のパレスチナ人 500 人、そして周辺のパレスチナ人 1,000 人が参加しました。

 一度、男たちがイスラエル兵と警官に催涙ガスでけ散らされて、今度は女性たちが前に出て、ラマラへ送る食料を積んだトラックをとうとう通すことができました。

 イスラエル兵に対して 1 時間も V サインを突きつけていたパレスチナ人女性の顔が、このとき一瞬、笑顔になったのを覚えています。しかしそのあと再びガス弾を浴びて、人々は警棒で殴られながら遠くに追いやられました。

 私も数十発の催涙ガス弾を浴びて、息が苦しくて、涙で何も見えなくなって大変でした。警棒で腰を殴られました。デモ隊の中には、昔いっしょに活動したマツペン (イスラエル社会主義組織) の仲間も多くいました。

 エルサレムに戻ってからも部屋の中には催涙ガスのにおいが満ちて、皮膚が焼けたように感じています。

 昨日はとうとうベツレヘムのイエス生誕教会をイスラエル軍が包囲しました。ラマラに近づくジャーナリストは機銃掃射で追い返されています。

 また書きます。

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