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■ HIRO COLUMN 写真・文:広河 隆一
独立戦争の光と影
 
Posted: 3/20/2002

 3 月 16 日に帰国しました。四方から銃口と砲口を突きつけられ続けているように感じた取材でした。

 私が純粋にパレスチナの革命にあこがれ、無条件に PLO を支持していたのは、いつ頃までだったのか、思い出せません。PLO の内ゲバ、汚職、権力闘争などで、次第に気持ちが離れていき、彼らがレバノンで、私たち NGO の支援するパレスチナの子どもの家を奪い合って撃ち合ったときには、PLO の主流派にも反主流派にも激しい怒りを覚えました。そしてその後は PLO の支援ではなく、パレスチナの子どもの救援だけを考えるようになりました。

 だからといって、パレスチナ人がおかれているすさまじい弾圧と苦境に、目をつぶるわけにはいきません。すべての悲劇は、占領から起こります。それはイスラエルのユダヤ人にとっても同じです。ユダヤ人学者、レーボビッツが生前、「イスラエルは占領者であることから解放されなければならない」と言っていたのを思い出します。だから私は、爆弾テロの被害者たちも、占領の犠牲者だと感じています。同じように考えるユダヤ人も、イスラエルで決して少なくはありません。

 パレスチナは今、国家の「生みの苦しみ」の時期にあります。この時期、パレスチナ人とユダヤ人は、大変な犠牲を払うことになりました。そして闘いは過酷で残酷です。

 イスラエル占領下のラマラで、美しい独立戦争なんてない、と自分に言い聞かせました。ロマンティックな独立戦争なんてありえません。歴史上、あらゆる革命や独立や民族解放闘争がそうであったように。

 13 日、ラマラの広場で、イスラエルのスパイになっていたというパレスチナ人が射殺されて、逆さ吊りにされました。14 日にはベツレヘムで、2 人のパレスチナ人が同じ嫌疑で射殺され、死体は引き回されました。

 イスラエルは、パレスチナの要人がいつどこで何をしているか、知り尽くしています。でなければ、あれほど多くの暗殺ができるはずはありません。イスラエルのために働くスパイは、非常に多いはずです。

 これが占領 35 年の実態です。パレスチナ社会は、イスラエルの占領によってどろどろにかき回され、抗体が体内で闘い、膿を出しているのです。

 西岸地区には、村がまるごとイスラエルのスパイをしていた所がありました。かつてイスラエルは、占領地統治のために村落同盟を作り、協力者を抜擢していました。スパイの群れは、このとき大量に生産されました。

 イスラエルの秘密警察にとって、パレスチナ人をスパイにするのは簡単なことです。逮捕、脅迫、拷問、家の破壊、子どもや両親を逮捕するという脅しなどを繰り返せばいいのです。やりたくてスパイをやる人間はいません。でも少しでも協力させれば、次はそれをばらすと脅すだけで済みます。

 状況が緊迫し、大勢が殺される毎日で、パレスチナ人は誰がスパイか、疑心暗鬼になります。そうでなくても、ちょっとしたいざこざで殺し合いにもなったりします。

 以前、あるパレスチナ人のスパイが、シンベイト (イスラエル秘密警察) に情報を渡したいと連絡してきて、彼らは待ち合わせて車で出かけました。

 その車中でスパイは自爆しました。シンベイト 2 人は、もしやと思って防弾チョッキを着ていたため、大けがですんだものの、そうでなければ即死したでしょう。

 すさまじい出来事でした。しかし彼が、自分で進んで自爆したのか、それともパレスチナ武装勢力に自爆を強要されたのかはわかりません。自爆するには、死への気持ちを整えるための時間が必要です。それに彼が誰かに自爆を強要されたのなら、すぐにシンベイトに見破られたでしょう。

 今の状況では、スパイが「裏切り者」から人間を回復して「英雄」になるためには、自爆しかなかったのかもしれません。

 解放闘争の炎と、その残酷さを考えているうちに、昔読んだ一節を思い出しました。

 「僕は 20 歳だった。その年齢が人生で最も美しい時期だとは誰にも言わせまい」(ポール・ニザン『アデン・アラビア』)

 青春と希望と夢であった「私の心の中のパレスチナ」は今、満身創痍で、しかし確実に解放への道を疾走しているように思えるのです。

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