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■ HIRO COLUMN 写真・文:広河 隆一
ラマラ占領
 
Posted: 3/14/2002

 【エルサレム 13 日】

 昨日 (12 日)、パレスチナ自治区のラマラに入りました。

 あらゆる道路がイスラエル軍に完全封鎖され、ジャーナリストも手前のカランディア検問所で追い返されていると聞き、かなり手前から大回りの道を徒歩で向かいました。

Photo by Hirokawa Ryuichi
ラマラに侵攻したイスラエル兵。1 月に撮影

 しばらく行くと前方に 4 人の歩く人影が見え、私が追いつくのを待っています。トルコテレビの女性キャスターと男性カメラマン、近くに住むパレスチナ女性 2 人です。心細くて誰かジャーナリストが来ないかと思っていたそうです。

 パレスチナ女性は「今日がパレスチナ人の悪夢の最後の日になるわ」と言いました。「なぜ?」と聞くと「シャロン (イスラエル首相) は、最後の切り札を使ってしまったからよ」と答えました。ラマラというアラファトの議長府のある場所を制圧したら、もう打つ手はないというのです。

 彼女たちと別れて、そのままラマラ市の中心に向かっていくと、イスラエルの戦車、装甲車、装甲ブルドーザーと出会いました。ラマラ市は完全な外出禁止令が敷かれ、人影はまったく見えません。戦車のキャタピラの跡に沿って進むと、激しい銃撃戦にあいました。四方から撃っているので逃げ場がなく、仕方なくメディアが集まるビルに避難しました。

 世界からのジャーナリストが 20 人ほど、廊下に身を伏せています。彼らは昨日からこんな状態でいたということです。

 窓から見ると、すぐ下がラマラの病院で、そこに戦車数両が入って、周囲に砲撃と機銃掃射をしています。しかしパレスチナ人たちは徹底抗戦を命令されているようです。大通りの方から、パレスチナ人が 1 人、2 人と忍び寄るように戦車に近付き、銃を撃っては逃げていきます。もちろん戦車に小銃では火力の差が歴然としているのですが、屈服はしないという抵抗の意思表示なのでしょう。

Photo by Hirokawa Ryuichi
ラマラでイスラエル軍を迎え撃とうとするパレスチナ地下武装組織タンジームの男。1 月に撮影

 床に突っ伏しているジャーナリストたちと別れて、建物を出て、アルアマリ難民キャンプに行きました。ここも戦車と装甲車が占拠していました。

 エルサレムに戻って CNN をつけると、アナン国連事務総長が激しい言葉でイスラエル批判を行っていました。国連事務総長がイスラエルの占領地の行動をこれほどはっきりと非難するのははじめてです。

 シャロン首相は「戦い続けながら停戦の交渉をする」と言っています。同時に「相手が悪かった、許してくれと言うまで、叩きのめす」と言っています。

 11 日はテルアビブの右派ユダヤ人の集会に行きました。8 万人と言われる群衆が、「戦争! 戦争!」、「復讐! 復讐!」と叫ぶのを見て、気持ちが悪くなりました。

 その前日はエルサレムでの喫茶店自爆テロ犠牲者の葬式に行きました。11 人が死亡し、そのうちの 6 人の葬式があったのです。泣き叫ぶ母親の姿は、パレスチナで子どもを殺された母親の姿と重なりました。激しい悲しみにとらえられていて、そこにいるのも苦しくなります。でも、ここにいる人たちは、相手側の悲しみは感じることができないのです。

 私がよく頼むユダヤ人運転手は、シャロン政権の 1 年間で性格が変わってしまったようです。イスラエルの暗殺や難民キャンプ侵攻のニュースを聞いて、私が「明日かあさって絶対に報復テロが起こる」と言っても信じないのです。実際、翌日には報復テロが起こり、イスラエル市民が死んでいくのですが。

 彼や多くのイスラエル人は、聞きたいことしか耳に入らず、自分に都合の悪いところ、批判されるようなことは、考えたくないというふうになってしまっているようです。どうしてか考えましたが、原因と結果を結んで考えると、今の自分たちの行為に責任を持たなくてはならないからだと思い至りました。つまり、今、暗殺や占領地への攻撃をした結果として、テロの犠牲者がでるということが確実であれば、その責任をとらなくてはならないということなのです。

 「安全と平和」をかかげて当選したシャロンは、そのどちらも最悪の状態にしています。

 占領地での兵役を拒否するユダヤ人の数は 350 人を超えました。小さな小さな希望です。

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