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【エルサレム 26 日】
今日は西エルサレムを車で走っていると、すぐ前の車から私服のイスラエル警官が走り出て、ピストルを突きつけて別の車を止め、乗客のパレスチナ人を取り調べ始めました。そのすぐ後ろを走っていた車が急カーブを切り、もう少しでぶつかるところでした。
ぶつかりそうになった車を運転していた女性はパニックになっていて、恐怖に引きつった顔をして、急にピストルが突きつけられるのを見たので、次は車が爆発するのではないかと思った、と叫んでいます。
ユダヤ人とパレスチナ人の祭が重なって、数日間平穏でした。もしかしたら和平への機運が盛り返すかもしれないと、人々が期待し始めていた矢先、25
日の検問所でのイスラエル兵の銃撃が引き金になって、再び衝突が起こっています。
この 25 日の未明にイスラエル軍検問所で、出産のため病院に行こうとしたパレスチナ人女性の乗った車がイスラエル兵に銃撃され、夫ともう
1 人の男性が死亡、妻が負傷したのです。幸い赤ちゃんは無事病院で産まれました。
妊婦の車を銃撃された報復が、その日のうちに行われました。
25 日午後、ベツレヘム近くでユダヤ人入植者の車が襲われ、2 人が死亡、妊婦 1 人を含む 2 人が負傷しました。赤ちゃんは無事誕生しました。
その夜も報復は続きました。東エルサレムのユダヤ人入植地のバス停で、2 人のパレスチナ人が銃を乱射し、負傷者が出たのです。私はホテルにいましたが、7
時前に知らせが入って、すぐにタクシーを拾って駆けつけました。すでに 100 人ほどの警察と軍が出ていて、遺留品の捜査をしているところでした。右翼の群衆は「アラブに死を!」と叫んでいます。
犯人は 1 人が射殺され、1 人は逃走しました。ここは占領地内ですから、周りはパレスチナ人の村です。そこに逃げ込んだのです。それらの村が封鎖され、すぐに捜索されましたが、今のところ捕まっていません。この日負傷したイスラエルの婦人警官が、26
日の今日になって死亡しました。
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カランディア難民キャンプの検問所で、パレスチナ人の身分証明書を調べるイスラエル兵
(2002 年 1 月撮影) |
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検問所では、イスラエル軍の傍若無人ぶりが目に余るほどです。私は 21 日にエルサレムに着いてすぐ、ラマラに向かいましたが、途中のカランディア難民キャンプの前にある検問所が完全に封鎖され、人っ子ひとりいません。その直前に検問所の封鎖に抗議した
31 歳のパレスチナ人男性が射殺されたのです。遺体を安置している病院で、犠牲者の弟が放心状態になっていました。彼の村はすぐにイスラエル軍によって封鎖され、車の通行が禁止されました。葬式はその日のうちに行われましたが、数時間前まで元気だった彼の遺体を見て、家族は半狂乱になっています。
同じ日、やはりこの検問所を通過しようとした女性と子どもが、撃たれて負傷しています。
数ヶ月前、私がナブルス近くの検問所を通過しようとしたとき、5 〜 6 人のイスラエル兵が散開して射撃体勢に入り、あわやということがありました。プレスカードをかざして近付こうとしたのですが、イスラエル兵は許可しません。私は電話で軍の情報官に抗議して、幸い封鎖解除の命令を出させることができて、3
時間後、暗くなってからそこを通過しました。
このときは相手が恐怖にかられていて、近付く者全員が自分たちを殺しにきたと思っていました。かつてレバノンで、検問所を通過した日本人が射殺されたことがありましたが、今の占領地の検問所でも、何が起こってもおかしくない状況なのです。

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