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■ HIRO COLUMN 文:広河 隆一
倒れゆく兵士
 
Posted: 2/25/2002

 【エルサレム 24 日】

 20 日に日本を出て、エルサレムに着いたのが 21 日朝 6 時、仮眠して 8 時にパレスチナ自治区のラマラに行きました。そこでは前夜、アラファト議長が「軟禁」状態にある議長府にミサイルが撃ち込まれ、建物がひとつ破壊されていました。

 前にラマラを訪れてから 1 ヶ月たちます。前回の取材中、1 月 23 日に、私の目前で起こった出来事を思い起こしました。

Photo by Hirokawa Ryuichi
ラマラに戦車で侵攻してきたイスラエル軍に対し、パレスチナ人たちは小火器で抵抗を試みた

 自治政府の議長府があるラマラに、イスラエル軍の戦車が侵攻してきました。それをファタハの地下組織、タンジームの男たちが迎え撃ちました。といっても、彼らの銃では戦車に損害を与えることはできません。それでも戦車の侵入を、手をこまねいて許すわけにはいかないと、パレスチナ人たちが武器を取って抵抗したのです。

 今から 20 年前、私はレバノンのベイルートでも、同じ光景を見ました。その時もイスラエル軍戦車がベイルートに入ってきて、小銃を持った左派民兵たちが迎え撃ったのです。でも機甲部隊と曲射砲、空軍までもつイスラエル軍に対して勝負にならないことは言うまでもありません。瞬く間にベイルートはイスラエルの支配下に落ちました。でも占領下のベイルートでいつまでも散発的な銃声が響くのを聞いて、兵士たちが今も抵抗し続けているのだと、感慨をもったことを思い出します。

 今年 1 月 23 日、私の数メートル先で、タンジームの男たちがイスラエル軍に向かって銃を撃っていました。顔はマスクで隠しています。ジャーナリストがいるのがわかっていましたから、撮影されて面が割れて、後にイスラエルに暗殺されることを恐れたためです。

 2 人の男が交互に家の石壁から身を乗り出して、銃を撃っていました。私は彼らを撮影していました。突然その 1 人の体が崩れました。何が起こったのか私にはわかりませんでした。そして彼の体が地面に倒れた時、私ははじめて彼が撃たれたことを知りました。

Photo by Hirokawa Ryuichi
崩れ落ちる兵士を捉えた連続写真の一部。『週刊金曜日』第 400 号 (2/22 発売) でも発表しました

 彼を貫いたのはイスラエル狙撃兵のたった 1 発の銃弾でした。彼は叫び声を上げることもなく、静かに崩れ落ち、そしてそのまま息を引き取りました。

 日本に戻ってから、フィルムを現像して、はじめて私は、彼が崩れる瞬間もシャッターを押していたと知りました。モータードライブは使用していませんでしたから、何度もシャッターを切っていたことになります。

 撮影が終わった後も、私は呆然としていました。彼の死が余りに突然過ぎたからです。

 打ち砕かれたのは、彼の抵抗の意思でした。それもあっけなく、たった 1 発で、彼は静かに死にました。そこに居合わせた兵士にも重苦しい沈黙が襲いました。男は、自分の町に侵入した軍隊に対して小火器で応戦して、欧米から「テロリスト」として名指されたまま、死んで行きました。

 先日の新聞報道は、パレスチナ側兵器の破壊力のエスカレーションを伝えていました。イスラエル軍が世界に誇る最新鋭戦車、メルカバ 3 を、パレスチナ人の新型地雷が爆破したのです。

 単なる抵抗の意思表示の時代は、あの兵士の死で終わったようです。事態は、ユダヤ人にもパレスチナ人にも、誰にも予測がつかない恐ろしい地平に突き進んでいくように思います。

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